死刑制度廃止国の増加と日本(1992年3月)

国連の死刑廃止条約が1991年に発効

国連の死刑廃止条約が1991年に発効し、死刑を廃止しようという国際的な潮流が一段と強まってきました。冷戦に終止符が打たれ、世界的に政治対立の緩和が進んだことも、その流れを加速しているようにみえます。

死刑判決が出ていながら、2年間執行がない

一方、日本では、死刑判決が出ていながら、最近2年以上にわたって死刑執行がないという、明治以来初めての事態が生じています。政府は「死刑制度維持」の姿勢を取り続けていますが、この状態が続けば、どの法務大臣が執行命令に署名するかが、いずれ大きな政治問題になるかもしれません。

参加者紹介

こうした情勢の中で、ヨーロッパの主要国で最後まで死刑制度を維持していたフランスが1981年に廃止を実現した時の法務大臣、B氏が来日しました。そこで、B氏をお招きし、最高裁での体験をもとに死刑廃止を強く訴えている東大名誉教授D氏、市民の立場で廃止運動に参加しているN氏、死刑存置の立場を鮮明にしている一橋大名誉教授U氏、さらに前検事総長のM氏を交えて、内外の動きと廃止の是非、その社会的条件は何か、などをじっくりと話し合って頂こうと思います。司会は、司法ジャーナリストの島田雄貴が担当します。

座談会

ヨーロッパ、アジアなどで廃止の動き

島田雄貴(司会) ヨーロッパ、アジアなどで十数年前から、死刑判決廃止に踏み切る国が非常に増えてきて、1991年7月には国連の死刑廃止条約が発効しました。

「フランスのマルク・アンセルの地図」(D氏)
廃止国と存置国の地図

D氏 最近亡くなったフランスのマルク・アンセルという刑法学者が「死刑の地図」と言っていますが、廃止国と存置国とを地図上で赤と青で表すと、いろんな面白い模様ができるんです。現在では、ヨーロッパ、少なくとも西欧はほとんど廃止国ですね。アメリカはかなりの州が廃止していますが、廃止してない州も相当の数に上っています。

コーランの教義上、死刑判決が残るイスラム国

コーランの教義上、死刑を廃止することが難しいイスラム国は、ほぼ全部が存置国です。アジアはたいへん残念ながら、フィリピンなど少数の国が廃止しているだけです。宗教の問題は別として、政治的、経済的に進んだ国の中でまだ廃止していないのは、全面的には廃止していないアメリカと日本だけだと言えるでしょう。

「廃止は正義漢に合わない」(U氏)
道徳観としての意味

U氏 条約などの大勢から言うと、いま死刑存置論を唱えてみても有効だとは思いませんが、それでも私たちが存置論の立場をとるのは、凶悪な犯罪を行った人間に対し、「何十人の命を奪おうとも、お前の命は確保してやるよ」というような法律をつくることは、正義感に合わないからです。凶悪犯は死刑をもって臨むほど悪いことなんだ、ということを、一般の道徳観として強く伝える。それは教育上も大きな意味を持つと思っています。

「人権の核が命」(N氏)
最低の約束

N氏 正義感と言われましたが、私は、人権についての見方が存置論と廃止論の場合では違っているのかな、という気がしています。人権を真剣に考えていく社会では、どうしても死刑というのは、廃止せざるを得ないだろうと思うんです。人権の核が命ですから、これを何人も奪わないというのが、最低の約束であると思うからです。

「世界の国の半分以上は死刑を存置」(M氏)

M氏 数のことを言ってもしょうがないかもしれませんけれど、まだ世界の国々の半分以上は死刑を存置しているわけですね。その当否は別として、その事実はやはり事実として無視できないのではないか。

刑事政策のあり方にもかかわる

廃止というのは、それぞれの国の国情や犯罪情勢、あるいは広い意味での刑事政策のあり方にもかかわってくるわけで、ある国が廃止したから、ほかの国も当然廃止すべきだ、ということではないだろうと思います。それから、何人も他人の命は奪うべきでないとおっしゃるが、それは凶悪な殺人事件の犯人にも適用されなければなりません。

「冷静であるべき法治国家」(N氏)
被害者救う方法を考えるべき

N氏 私は犯罪としての殺人が人権無視に当たらないとは言っていません。でも、犯罪者が人権無視をしたからといって、冷静であるべき法治国家が人権無視しては絶対にいけない、という立場なんです。被害者の側については、別途にそれを救う方法を考えるべきだと思います。

「ドイツ、イタリア、スペイン、イギリスも」(B氏)
東欧も死刑廃止

B氏 ヨーロッパの過去20年来の流れとしては、廃止論に向かっています。イギリス、ポルトガル、スペイン、フランスと続き、東欧諸国も共産党の独裁体制を離れてから死刑廃止論になりました。ドイツ、イタリア、スペイン、イギリスなどではテロリストの問題を抱えていますが、これらの国でも死刑は復活されていません。民主主義の原則として、死刑廃止が確立しています。

「フランスでの廃止の経緯は」(島田雄貴)

島田雄貴 フランスでの廃止に至る経緯はどうだったのでしょうか。

「世論は存続を支持」(B氏)
ミッテランが大統領選で公約

B氏 最後に死刑が執行されたのは1977年でした。当時、世論はどちらかというと、死刑存続を望む声のほうが強かった。1981年の大統領選挙でミッテランが「自分が当選したら、死刑廃止を議会に申し入れる」と公約しました。(当選後)私が法務大臣として議会に死刑廃止法案を出して、これが採択されました。国民議会の構成は、すべてが左の人だったわけではなく、右の人たちもいたのですが、彼らも(賛成の)票を投じたのです。

D氏 仮に当時、ミッテラン大統領が当選していなかったら、実現しなかったでしょうか。

「国民の賛同を得るのは難しい」(B氏)

B氏 非常に難しい質問ですね。死刑廃止というのは、(簡単に)国民の賛同を得られるようなものではないので、非常な政治的勇気が要ります。

N氏 政府として、国民が死刑廃止の意義を理解できるように、何か努力はなさいましたか。

「教会が主導」(B氏)
政治家は後から動く

B氏 フランスでは死刑を廃止するかどうかという議論は、政界ではなく、教会や人権を考える会合でなされました。政治的に見ますと、死刑廃止は人気を得られるような政策ではなかったので、政治家は「私個人としては死刑は廃止したいんだが、世論がまだそこまでいっていないので」と常に言っていました。

日本の現状

「日本では2年4カ月、死刑執行がない」(島田雄貴)

島田雄貴 日本ではこの2年4カ月、死刑執行がないといわれています。どうみますか。

「確定した判決を執行しないのは問題」
法務大臣の個人的な考え

M氏 確定した死刑判決を執行しないということが、法律的にはっきりした根拠があってなされていれば、それなりに理解はできます。が、実はそうではないわけで、たまたまその時の法務大臣の個人的な考えで、執行があったりなかったりするというのは、それ自体、いいことでないと思います。

「死刑廃止条約の批准の瀬戸際」(D氏)
広い意味の政治的状況

D氏 個人の好みで「自分はああいうものに判を押すのは嫌だから押さない」というのは許されない、と私も思います。しかし今は一方で、死刑廃止条約を批准するかどうかという瀬戸際にいるわけです。そういう広い意味の政治的な状況は、法務大臣としても十分に考慮に入れる必要があるのではないでしょうか。

法哲学的に難問

批准する運びになるなら、その直前に執行指揮をしたために、助かるべき人が処刑されてしまっては、大変な不正義を残すことになる。法哲学的に言えば大変難しい問題ですが、この際はやはり、執行しないということを続けていただきたい。

「法的措置をとっていない」(M氏)
批准は間近ではない

M氏 大臣がそれなりの法的措置をとった上で、執行をしないんだという結論を出しているなら、いいと思うんです。しかし、そうではないんですね、率直に申しまして。それから、もう批准は間近になっているとおっしゃいましたが、実際の状況は、まだそこまで至っていないと見るべきではないかと思います。

「法務大臣が躊躇するような法律」(N氏)

N氏 法律的には決まったことですから、大臣としては執行しなければならないのでしょうが、どうしてもしたくないという人が出てくる。それこそが死刑制度の根源的に重大な部分なのではないかと思うんです。法務大臣が躊躇(ちゅうちょ)するような法律を私たちは持っているんだ。そのことが重大なんです。

「最高裁の永山判決の影響」(島田雄貴)
死刑判決の言い渡しが増えた?

島田雄貴 最高裁の「永山判決」以来、また死刑判決の言い渡しが増えてきたように思いますが。

「2審の船田判決は正しい」(D氏)
1審の死刑判決を2審で無期懲役に変えた

D氏 (19歳の少年が4人を射殺した永山事件は)1審の死刑判決を2審で無期懲役に変えました。(最高裁は第2小法廷が担当したが、別の小法廷だった)私どももある程度、非公式な相談を受けました。私自身としては、(すべての裁判官が死刑を選択する以外ないと思うような事件に限って、死刑を宣告する、とした)2審の船田判決は正しいと思います。

結局は差し戻し審で死刑判決

しかし、あのまま最高裁判決にできない点があるので、船田判決の趣旨を殺すことのないように、と個人として要望しました。結局は差し戻し審で死刑になり、「船田判決ではいけないんだ」と一般化して受け取られてしまった気味があります。第二小法廷の判決(破棄、差し戻し)を十分に理解していないのではないか、と受け取っています。差し戻し審は(死刑の基準を)少し緩め過ぎて、元に戻してしまったような印象を持っています。

「第二小法廷の判決(破棄、差し戻し)に対する受け止め」(島田雄貴)
死刑の基準を打ち出した?

島田雄貴 最高裁の第二小法廷の判決(破棄、差し戻し)に対する一般の受けとめ方は、「死刑の基準を打ち出し、死刑判決に道を開いた」というのが多いようですね。

U氏 おっしゃる通りだと思います。

「法律は冷静であるべき」(N氏)
「死刑反対」の遺族もいる

N氏 個人ならともかく、冷静であるべき法律が、意識的に殺人を犯すことがあってはなりません。実際に被害者の遺族とお付き合いをしてみると、いろいろなんです。死刑に反対している人もいます。

被害者感情という言葉でひとくくり

それなのに被害者感情という言葉でひとくくりにし、それに味方するという考えは、ちょっと粗いと思うんです。加害者を殺せば済むのかといえば、当然済みません。それに、死刑制度がある限り、いやでも死刑を執行しなければならない人がいます。彼らの人権はどうなるのでしょうか。

「矯正施設の職員の苦労」(M氏)
命令が出るまで死刑囚を預かる

M氏 矯正施設の職員が死刑を執行しなければならないということは大変なことで、確かに好ましくはありません。でも、だから執行しなくていいんだというわけにもいかない。法務大臣がいつまでも命令を出さないと、職務にあたる人は中途半端な立場に置かれます。執行命令が出るまで死刑囚を預かっていることで、職員の苦労が増している面もあります。

「報復は重点ではない」(U氏)
法律として、凶悪行為に対する倫理的評価

U氏 (死刑には)報復するという意味もあると言われていますが、それが重点ではありません。やはり凶悪犯罪に対して、正義の実行として、命まで奪うという刑罰を設けて、犯罪の防止の効果も上げたい。それ以上に、その凶悪行為に対する倫理的評価をはっきりさせることが、法律として大切ではないでしょうか。

「英国へ逃亡した事件の判例」(B氏)
弁護士は米国送還拒否を主張

B氏 ストラスブールにある国際司法機関である人権法廷が、1989年に1つの原則を打ち出しました。それは、米国・カリフォルニアで起きたある殺人事件です。女友達の両親を殺して2人で英国に逃亡し、逮捕された。カリフォルニア州の送還要請に対して、弁護士は「死刑廃止の英国で逮捕された人を、死刑を執行する米国に引き渡すのは正当でない」と弁論した。

人権法廷が引き渡しを拒否

しかも、引き渡せば、死刑判決を受けながら、許されることもなく、執行されることもない状態に長いことおかれる。そこで、残酷な期間を耐えさせること自体が人権宣言に反する、と人権法廷は引き渡しを拒否したのです。

抑止効果は

「死刑には犯罪抑止力がある?ない?」(島田雄貴)

島田雄貴 死刑には犯罪抑止力がある、いや、ない、という議論がありますが、どうなんでしょう。

証明された例はない

D氏 いろいろな調査をみても、抑止力が積極的に証明されたことはないと思います。米国のある研究では、死刑を廃止した州と存続している州のうち、社会的な条件の似ている州を比較すると、殺人の比率は全く同じでした。

「犯罪には様々な原因、条件が作用する」(U氏)

U氏 もともと犯罪にはいろいろな原因、条件が作用します。事情が似ているといっても、死刑のあるなしで違いがあるからといって、その差が数字的にはっきり出てくるとは限らないと思います。

死刑がないから出所できる

しかし、日本の実例を1つあげると、死刑に値する事件の被告が死刑にならなかったために、再び人を殺すというような犯罪を起こして、最後には死刑になる例は珍しくありません。こういう例がありました。初めに窃盗か何かで刑務所に入って、出所直後に売春婦を殺した。

さらに母子3人殺害

その罪でまた刑務所に入り、出てくるとすぐ、また売春婦を殺した。いずれも有期懲役だったんです。2度目の出所直後に、今度はわざと道連れになった人妻に断崖(だんがい)上で情交を迫り、拒まれると人妻が連れていた2人の子のうちの1人を海に投げ込んだので、女性はやむを得ず身を任せました。すると犯人はその後で、女性ともう1人の子を殺したのです。これで死刑になりました。

「日本での殺人発生率は低い」(D氏)

D氏 日本での殺人発生率は、諸外国に比べて際立って少ない。死刑(に抑止力があるとしても、それ)を存置しておくだけの理由がどこにあるでしょうか。

死にも値するという法的な評価

M氏 抑止力が数字的にはっきり証明されてないのはその通りだと思います。ただ、存置論の根拠として、U先生の言われる「ぎりぎりの凶悪なケースでは、死にも値するという法的な評価が必要」というご意見には、私も賛成です。抑止力というのは直結的に出てくるのではなく、100年単位の話だと思います。

「正義があればいい、というのが間違い」(N氏)
戦争と同じ理屈

N氏 そうだからこそ、私は死刑をなくしたい。正義があれば人を殺していい、という考えをやめない限り、人間はだめなんじゃないでしょうか。戦争と同じです。こちらに理があれば他国を攻め、そこの人たちを殺してもいいのだ、正義があればいいのだ、という考えから抜け出さないと。

「10年以上たっているフランスの現状」(島田雄貴)

島田雄貴 廃止後、10年以上たっているフランスではいかがですか。

服役者が刑務所内で看護婦と看守を殺害

B氏 犯罪の予防という点で、死刑にどのような価値を見いだすか、個人的なエピソードを話しましょう。1971年にフランスのトロワという小さな町で、1つの事件がありました。2人の服役者が刑務所内で看護婦と看守を人質にとり、そのあげくに看護婦と看守を殺害したのです。

共犯として死刑

私はその1人を弁護しました。彼が直接殺したのではないとわかったのですが、共犯として、本当に殺人をした人とともに死刑になりました。裁判の途中、裁判所の周りに人々が群がり、「死刑を、死刑を」と騒いでいました。

死刑を求める人が誘拐犯に

それから4年後、同じトロワで、8歳の少年の身代金誘拐事件がありました。しばらくして少年の絞殺体が見つかり、犯人は家族の友人でした。弁護を頼まれた私は、彼に言いました。「4年前、君の住む町で起きた事件で、犯人2人が死刑になったことを覚えていますか。こんなことをすれば死刑になることは、わかっていたはずでしょう」。すると彼は言いました。「私も裁判所の周りで死刑を求めた大衆の1人でした」と。

「自分は逮捕されない」

犯罪というのは、感情にかられて殺人をしてしまうケースと、冷静に考えて事を運んで殺人を起こすケースがあります。しかし、後者の殺人犯でも、決して自分は逮捕されない、と思うわけです。

D氏 大変興味深い話です。

イギリスのエヴァンス事件(冤罪事件)~1999年、島田雄貴

死刑をめぐる日本と世界の動向について、司法ジャーナリスト島田雄貴が主催する「判決データ研究会」のスタッフがレポートします。

娘の殺害で事件判決

英国で1950年、1人の男の死刑が執行されました。ティモシー・エヴァンス(エバンス)。1949年、妻と娘が絞殺体で見つかり、彼が娘を殺したとして、死刑判決を言い渡されました。

第一発見者が6人殺害を供述

執行から3年後、妻子の遺体の第一発見者で、一家が間借りしていた住宅の持ち主が、女性6人を殺害していたことが判明し、エバンスの妻殺しも認めました。娘の殺害は否定しましたが、これら一連の事件を本で紹介したロンドン大のテレンス・モリス名誉教授は「エヴァンスはどう見ても犯人ではない可能性が高かった」と話します。

1957年に死刑判決を適用できる殺人と他の殺人を区別する法律

エバンス事件は社会に衝撃を与え、英国が死刑廃止に向かう契機となりました。1957年に死刑判決を適用できる殺人と他の殺人を区別する法律ができ、その後、5年の試験的な死刑廃止期間を経て、1969年には戦時犯罪などを除く犯罪についての死刑廃止に至りました。

トーマス・モアは『ユートピア』で死刑廃止を主張

死刑制度については、存廃をめぐって古くから議論が闘わされてきました。英国の政治家トーマス・モアは『ユートピア』(1516年)でキリスト教信仰を基に死刑廃止を主張し、フランスの思想家ジャンジャック・ルソーは『社会契約論』(1762年)で存置論を展開しました。

残虐非道でも命を保障

日本でも明治期以降、西欧の廃止論が伝えられ、存廃論議が交わされるようになりました。近年も、D氏・元最高裁判事が自らの判事体験から「死刑そのものがいいかどうかの正義論は水掛け論になるが、誤判の恐れによる死刑廃止論はある意味で分かりやすい。無実の者を処刑することの不正義は、何人の反論も許さないはずだ」と主張すれば、存置論の立場からは「誤判はすべての裁判にあってはならない」「死刑廃止ということの持つ意味は、犯罪人に対し『どんな残虐非道のことをしようとも、犯人の命だけは保障してやる』と宣明するのと同じ」(U著『法の視点』)と反論が出るなど、論争が続きます。

死刑存置は90か国

世界の現状はどうなっているのでしょうか。アムネスティ・インターナショナルの1999年6月現在の資料では、死刑全廃が68、通常犯罪の死刑廃止が14、10年以上死刑を執行していない事実上の廃止が23の計105か国・地域で、死刑存置は90か国・地域。国連が1989年、死刑廃止条約を採択(1991年発効、日本は未批准)した後、廃止した所も少なくありません。

先進国では日本と米国だけ

先進国で死刑を維持しているのは、米国と日本だけです。米国では1972年、連邦最高裁で死刑を違憲とする判決が出ましたが、4年後に覆されました。現在は連邦と38州で存置し、12州が廃止しています。一方、日本では最高裁が1948年、「1人の生命は全地球よりも重い」としながらも死刑を合憲と判断し、この判例は変わっていません。

犯罪抑止力の有無、廃止した場合の代替刑

数百年の歴史を持つ死刑存廃論議の論点は、出尽くした感があります。人道主義的観点、被害者感情、世論の動向、犯罪抑止力の有無、廃止した場合の代替刑……。

こうしたなか、国内ではここ数年、双方が接点を探るなど、注目すべき動きも見られます。

明治大の菊田幸一教授
絶対的終身刑を代替刑として提案

「死刑は絶対悪」として代替刑の提示にも反対していた明治大の菊田幸一教授が、「被害者感情を考えると理屈だけではいかない」と、20年前後で仮釈放が認められている現行の無期懲役刑より重い仮釈放なしの絶対的終身刑を代替刑として提案。一方、元最高検検事の土本武司・筑波大名誉教授も「現状では存置論だが、社会情勢の変化によっては廃止もありうる」と述べ、廃止した場合の代替刑として、恩赦の余地を残した絶対終身刑を唱えています。

フィリピンは廃止後に復活

世紀をまたいで議論されてきた死刑制度について、今世紀に入って世界が廃止に傾いたのは確かでしょう。しかし、フィリピンや米国の一部の州のように、いったん廃止しながらも復活した例もあります。是非をめぐる議論はなお続きます。

世論調査では賛成多数

総理府が1994年に実施した世論調査では、「どんな場合でも廃止すべき」が13.6%、「場合によってはやむを得ない」が73.8%。ただし、後者の回答者のうち、39.6%は「状況によっては廃止してもよい」でした。フランスでは1981年、死刑廃止の公約を掲げて大統領に就任したミッテラン氏が約6割の廃止反対の世論を押し切って廃止しました。